【歌舞伎町住人が語る昔のトー横】TOHOシネマズができる前の姿とは?

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カブキさん

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今回は『TOHOシネマズができる前でトー横といわれる前の昔の姿が、どんな感じだったかを知りたい!』というあなたは必見です!

 

今ではトー横と言われる歌舞伎町の広場ですが、TOHOシネマズができる前ってどんな感じだったの?と思う人もいると思います。

 

この記事ではTOHOシネマズができる前の時代に、一日中歌舞伎町で生きていた僕が、歌舞伎町のトー横広場の昔はどうだったのかについて書いていきます。

 

その歌舞伎町のTOHOシネマズのビルが建つ前の、広場の昔の姿を知りたい人は、この記事を最後まで読んでいただけるとお分かりいただけると思います。

 

よかったら最後まで読んでみてください。

 

昔の歌舞伎町のトー横広場について

歌舞伎町 広場 昔

まず昔の歌舞伎町の広場のことについて書いていきます。

 

今とは雰囲気もいる人たちの属性もちょっと違ったりもします。

 

トー横は昔はコマ劇前広場と呼ばれていた

今はトー横と呼ばれている歌舞伎町の広場ですが、TOHOシネマズができる前はコマ劇場という50年の歴史を誇る大きな劇場がありました。

 

そして広場はそのコマ劇場にちなんで、そのままコマ劇前という風に呼ばれていました。

 

今のトー横がTOHOシネマズの横にあることからトー横と呼ばれているように、コマ劇場の前だからコマ劇前と呼ばれていた感じです。

 

コマ劇前広場に集まる人の属性

当時のコマ劇前に集まる人というのは、夜の早い時間は歌舞伎町に遊びに来た、一般の方々が集まっていたりして賑わっている感じでした。

 

しかし夜の遅い時間になってくるほど、歌舞伎町の色が強く出てくる感じでした。

 

歌舞伎町の色というのは、下っ端の893の方々や不良と言われる人たちや、家出少女やホストに通い詰めているホス狂いの人達がたくさんいました。

 

なので昔からこの辺りは治安が良いとは言えない場所ではありました。

 

そういった感じで歌舞伎町にずっと入り浸っている人達が、歌舞伎町の住人と呼ばれる人たちになります。

 

そんな属性の人たちがコマ劇前に毎日のように集結していました。

 

昔のコマ劇前広場の様子

歌舞伎町 広場 昔

昔のコマ劇場広場はどんな様子だったのか?というところに触れていきたいと思います。

 

まず終電近くの時間帯になると、先にも書いた歌舞伎町の住人と呼ばれる人たちが、コマ劇前広場に集まるようになります。

 

では実際に昔のコマ劇前広場と呼ばれていた時代は、広場や周辺はどのような様子だったのかについて書いていきます。

 

一面ホストだらけのホストの博覧会

昔のコマ劇前は夜になると、指名予定のないホストが初回の新規のお客様を獲得するために、ホストが街に出てキャッチをするのが当たり前でした。

 

なので夜になるとコマ劇前にもホストがたくさん出てきて、見渡す限りホスト、ホスト、ホスト、という感じで、コマ劇前広場周辺はホストの博覧会状態でした。

 

なので当時はお店に行かなくても外でホストと話すことができた時代でもあります。

 

ホスト好きの子が暇つぶししている

昔のコマ劇前広場では夜の遅い時間帯になると、ホストで飲み終わった子たちが暇つぶしでいたり、ナンパ待ちやホストのアフター待ちようなことをしている子達がちらほらいました。

 

そして先にも書いた通り昔はホストが外に出てキャッチをしていたので、ホストに絡みたい女の子たちがコマ劇前広場周辺で、暇そうに座っていたりする光景も日常でした。

 

ホストが出没するところには、大体ホス狂いと呼ばれる女の子たちの姿がありました。

 

あとは18歳未満でまだホストに行けないけどホストが好きという子たちも、外にいるホストに絡みたくて、コマ劇前の広場周辺を徘徊したり座り込んでいたりする光景も日常でした。

 

殴られ屋がいた

昔のコマ劇前広場では『殴られ屋』という商売をしている人がいて、一般人を相手にお金をいただき、制限時間までひたすら殴りかかってよいというサービスを提供していた時代がありました。

 

その殴られ屋の人も元ボクサーの方でディフェンス技術を巧みに使い、殴りかかってくる人のパンチを上手くかわしたり、ガードしたりして攻撃をしのぎお金を稼いでいました。

 

そんな殴られ屋も時代の変化とともに歌舞伎町からいつの間にか姿を消しました。

 

パフォーマーが技を披露

昔のコマ劇前広場では週末とかになると、たまにパフォーマーのような人たちが、一芸を披露して人々を楽しませているような光景も見られていました。

 

さっきの殴られ屋もそうですが、人々が何かイベントやショーを披露する場としても機能していたのがコマ劇前広場でした。

 

こういった様子が歌舞伎町をさらに活気づけていたように懐かしく感じます。

 

家出少女たちの博覧会

これは歌舞伎町名物と言ってもよいと思いますが、歌舞伎町は特に夏になると家出少女が全国各地から集まってくるような状況でした。

 

コマ劇前の広場やその周辺のパチンコ屋の段差に座り込み、誰かに声をかけられるのを、それこそ競い合うかのように何人も座っていました。

 

そして仕事が終わったホスト達が、営業終了後にお客様を掴むためにナンパをしていて、そういった子達がホストに声をかけられている風景は、まさに昔の歌舞伎町のコマ劇前の風物詩でもありました。

 

クラブ終わりの人たちが溜まっていた

昔のコマ劇の建物の4階には、大きな箱の有名なクラブがありました。

 

そこのイベントが終わると中にいた人たちが溜まってクラブでの楽しかった余韻に浸っている様子が見られました。

 

当時は特に毎週日曜の朝に行われていた人気のアフターイベントの後は、ものすごい数の人がコマ劇前に溜まり占拠している感じでした。

 

その溜まっている人達の中には、ガラの悪い人たちや薬物常習者たちも多く、そのアフターイベント終わりのコマ劇前の広場は、一般の方々が寄り付きにくい雰囲気を出していました。

 

今はそのクラブもコマ劇場の解体によって閉店しましたが、歌舞伎町の歴史の中でも大きな影響を残した場所でもあります。

 

歌舞伎町の今のトー横と昔のコマ劇前の違い

歌舞伎町 広場 昔

昔の歌舞伎町のコマ劇前広場と、今のトー横の広場では何が違うのかについて書いていきたいと思います。

 

お店が増えて賑やかになった

やはり何と言ってもTOHOシネマズができたことによって、広場周辺にお店がたくさんできたということが言えると思います。

 

そしてそれによって人の往来も増えて賑やかになった印象があります。

 

昔のコマ劇前は大きな劇場があってそれ以外に路面にお店と言えるようなものがあったのは、コマそばという立ち食いソバがあったのと、ロッテリアがあったという程度でした。

 

なので昔に比べたらより人が時間を潰しやすかったり、人が訪れやすくなったという変化があると思います。

 

広場にたむろする人たちが増えた

お店が増えたことによって人の行き交いが増えたので、土日祝日を中心に昼夜問わず広場に溜まる人達が増えたようにも感じます。

 

昔は歌舞伎町は夜の街というイメージでしたが、歌舞伎町浄化作戦の一環の歌舞伎町の再開発によって昼でも人が来れる街として生まれ変わったのが要因としてあります。

 

そうなれば広場にも人が集まるようになるのは自然な流れだと思います。

 

コンカフェの呼び込みが増えた

このコンカフェというものは昔の歌舞伎町にはありませんでした。

 

ここ数年で台頭してきたコンカフェの呼び込みが、トー周辺で見られるようになり、歌舞伎町のコマ劇前と呼ばれていたころと比べ、圧倒的に雰囲気が変化してきました。

 

これは歌舞伎町のイメージを変える新たな歌舞伎町の象徴となっていき、あらたな文化として根付いていくのだと思います。

 

地雷系と言われる子達の出現

今トー横にいくと地雷系と呼ばれる若い子達をたくさん見ることができます。

 

こういったスタイルの子たちは昔からいたと言えばいましたが、ここまで群れを成して広場に集合することは昔はありませんでした。

 

そして地雷系という形でカテゴライズされたことで、人間が遺伝子的に持つ帰属欲求・所属の欲求によりそのカテゴリに属したい子が増えたように感じます。

 

こうした地雷系と呼ばれる子達も、歌舞伎町の新たな象徴になっていく気がします。

 

まとめ

ここまで歌舞伎町のトー横の広場の昔の姿や、広場の歴史について振り返って書いていきましたがいかがでしたでしょうか?

 

今と昔では歌舞伎町のトー横の広場の雰囲気や様子もかなり変わったように感じています。

 

時代の移り変わりと主に歌舞伎町もここ数年でかなり変化してきたように感じます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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